第26回:積み上げたものが一瞬で無くなる可能性は0ではない

積み上げたものが一瞬で無くなる可能性は0ではない

こんにちは、芹澤です。

個人的に人生でトップレベルで
人生について考えさせられる体験をしたので、
ここに記したいと思います。

自慢できることではなく、
猛省することです。

前置きはここまでにして、
早速書いていきます。

交通事故をしかけた

先日、社長である父と営業帰りに
車を運転していた時のことです。

信号機がない横断歩道で女の子二人組がいました。

歩行者が渡ろうとしている場合、
横断歩道の前で車は必ず停車しなければなりません。

今回の話は、100%私のミスです。

しかし、距離的にそのまま通り抜けようとしました。

女の子の一人が対向車線の車が止まったためか、
こちらの方向を確認せず、
一歩踏み出しました。

急ブレーキを踏みました。

間に合わなかった、、、、と思いました。

正直、やってしまったと思いました。

一瞬で走馬灯のようにいろいろな記憶・感情が
脳内を駆け巡りました。

何をどうすればよいかできず、運転席から動けずにいました。

助手席から父が降り、女の子を確認しました。

本当に本当に奇跡的に女の子は無傷でした。

女の子には怖い思いをさせて
心の底から申し訳ないと思っております。

走馬灯で頭を駆け巡ってきた内容、
そして今現在考えていることについて
以下記載していきます。

突然、人殺しになる

今回の出来事は
”人一人の人生を終わらせてしまう可能性があった”
ということです。

しかも、まだ幼い女の子の人生を。

考えただけでもぞっとします。

本当にぞっとしました。

何気ない日常を奪ってしまうのです。

未来も奪ってしまうのです。

その女の子自身だけでなく、
その家族の日常も破壊します。

一緒にいた友達にも一生消えない心の傷を負わせます。

そのようなことが脳内でイメージされました。

もし仮に万が一のことが起こっていたら、
女の子の家族にどう謝罪をしていいかも分かりません。

何も分かりません。

今回はただただ
本当に運が良かったと思います。

自分の人生を失う

私は他の人より、
ちょっとだけ多くの努力してきた人生だと思います。

積み上げてきたものも少しはあると思います。

それらがすべて、意味をなくすのです。

努力して得た知識も経験も、
お金も友人もすべてです。

償いにすべてをささげなければいけません。

今後の人生、おいしい料理を食べて、喜べなくなるのです。

暇な時間にYouTubeを見て、笑えなくなるのです。

家族と旅行にも行けなくなるでしょう。

仲の良い友人とも一生会えないかもしれません。

子供を危険な目に合わせて、
何を自分本位なことを言っているんだと思うかもしれません。

ですが、まぎれもない事実です。

今後の人生すべてが闇に閉ざされ、
心から笑ったり、喜んだりすることができなくなるのです。

何をするにも、過ちを犯してしまったという感情は付きまとってくるでしょう。

一生、罪と向き合わなければいけない人生を歩む必要があるのです。

これが、一瞬のうちに頭によぎりました。

自分の家族の人生を壊す

私には妻がいます。

そして、8月には子供が生まれます。

清廉潔白に生きている妻は犯罪者の妻に、
輝かしい未来がある子供は生まれた瞬間、
いや生まれる前から犯罪者の子供になるのです。

この先、そのレッテルが一生張り続けられるのです。

自分が死ぬより辛いことだと思いました。

初めて、確実に死んだ方が楽だと思えることがあるんだな、
と思いました。

そして、両親や祖母のことも考えました。

恐らく、なにも悪くないのに、
私以上に責任を感じてしまうでしょう。

私の過ちが仮に現実になった場合、
どんな行動をするのか、
想像したくもないです。

もし孫が犯してはいけない過ちの知らせを祖母が聞いたら
どうなってしまうでしょう。

そこまで遠くない将来、
どんな気持ちで最期を迎えるでしょう。

何十年と生きてきて、
自分の落ち度はないのに、
暗く冷たい気持ちで死んでいく。

これ以上に辛いことはあるのでしょうか。

想像に難くはないと思います。

社員の人生を変える

私は一応、会社で立場のある人間です。

私が社会的に終われば、会社の評判も終わるでしょう。

悪い意味で評判が広がるはずです。

様々な人の努力で積み上げてきた歴史や信頼が
ぽっと出の跡継ぎの過ちで無に帰してしまうのです。

会社で働く社員の人生はどうなるでしょう。

必ず悪影響は出ます。

そして、社員の家族にも
悪い影響が出ます。

社員の家族も含め、
社長には意識せずとも責任が伴っています。

跡継ぎという責任を私は軽く受け止めていました。

やってはいけないことをしたら、
顔も知らない人の人生まで狂わせる可能性がある。

やっと気付くことができました。

得た教訓

今回の出来事で人生観が変わりました。

一度、社会的に死にかけた経験をしました。

今までは自分に自信があり、
たいていのことは上手くいくと
前向きに人生を楽しんでいたと思います。

積み上げてきたものに自信をもって生きてきました。

しかし、積み上げてきたものは簡単に崩れ去るのだと知りました。

何気ない毎日の価値は計り知れないと学びました。

たいていの不運や失敗は許せるようになったと思います。

人の命を奪うこと以上の不運はないからです。

よい意味で、幸せの基準は下がりました。

妻とする何気ない会話は
かけがえのないものと感じるようになりました。

もし、コンマ1秒の差で悲劇が起きていたら、
妻はどんな顔をするでしょう。

考えるだけで胃が痛くなります。

顔も上げられません。

絶対に妻も子供も幸せにすると誓いました。

いや、私に関わってくれるのすべての人を
私と関わってよかったと思わせます。

心の底から思うことができています。

最後に

死ぬ間際に走馬灯が見えるという話をよく聞くと思います。

私の場合は逆でした。

命を奪う側の立場で走馬灯を味わいました。

私は人生をどうすればよくなるのか、
という方向であらゆる物事を考えてきました。

辛い出来事もたくさん乗り越えてきたと思います。

しかし、どれだけ人生で努力を積み上げて、得たものも
一瞬の判断ミスですべてを失う可能性があることを実感しました。

社会的に一度死にかけた身です。

神の存在は信じていないのですが、
どうやら自分にはまだ生きる意味があるようです。

正直、今までは自分のためだけに生きてきました。

しかし、大切な人との当たり前の日常は
かけがえなのないものなんだと知りました。

月に数回、祖母に会います。

祖母は曾孫の誕生を心の底から楽しみにしています。

本当にその楽しみを壊さなくてよかったと、
今は心の底から安心しています。

そして、これ以上ない幸運に救われた私の残りの人生は
社会に還元しなければいけないものだと確信しています。

特に日本の子供たちの未来を守っていかなければいけないと考えています。

たくさん稼いで、必ず日本の未来に貢献します。

この記事を読んでいる皆様、最後にぜひ考えてみてください。

自分が思いがけず、命を奪う立場になってしまったとしたら。

その後の被害者家族の人生、自分の人生、自分の大切な人の人生を。

心臓が痛くなるはずです。

考えただけで身震いするはずです。

自分が死ぬより、辛いことは本当にあるのです。

人生において、積み上げることは大切です。

しかし、一瞬でそれらがゼロになる可能性は少なからずあります。

でも、その可能性を限りなく0にするのは、
実は少しの心の持ちようで簡単にできるはずです。

ちょっとした心の持ちようで、
人生が台無しになることは無くなると思うのです。

自戒の念を込めて、この記事を書きました。

ぜひ、みなさんの大切な人にもシェアして欲しいです。

悲しい加害者を生まない可能性が少しでも上がれば、
本当に喜ばしいことです。

今回の記事が少しでも、心に響いていただければ幸いです。

最後まで読んだ頂きありがとうございました。


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