第28回:座右の銘を紹介します➀

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座右の銘を紹介します➀

こんにちは、芹澤です。

突然ですが、みなさま座右の銘はありますか。

ある人もいらっしゃると思いますし、
そんなの意味ないでしょ、
という人もいらっしゃると思います。

ちなみに私には3つ座右の銘があります。

一個じゃないのかよ!
とツッコみたくなると思います。

しかし、一個じゃなければいけないというルールはありません。

人生を生きてきた中でビビッと来たものを心に留めています。

今回はそのうちの一つを紹介したいと思います。

それでは、本題に入りたいと思います。

座右の銘は必要なのか。

まずはここからですよね。

結論、必要だと思います。

もっと言うと、座右の銘があった方が生きやすいと思います。

理由は2つです。

1つは、人生で大きな決断をする際の方針・主軸となるから。

2つは、やりたくないこと・心理的肉体的に負荷がかかることを
行う際の原動力になるからです

大前提として、どんな言葉を座右の銘にするかによって、
上記2つの要素のどちらがメインになるかは
変わってくると思います。

その点はご了承ください。

人生で大きな決断をする際の方針・主軸となる

我々は生きていて、様々な決断・判断を行っています。

Harvard Business Reviewによると、
平均的な成人は1日に33,000〜35,000回の判断を行っているとされています。

↓引用ソース
https://hbr.org/2023/12/a-simple-way-to-make-better-decisions?utm_source=chatgpt.com

ほとんどが無意識下で行われているようです。

どんな服に着替えるか、朝一どのタスクを行おうか、
昼食は何にしようか等々、小さいですがたくさんの決断をしています。

このような小さな決断は人生を大きく左右することはないでしょう。

しかし、人生を左右するような
大きな決断をする場面が必ずあります。

その際に軸を持っておくことが大事です。

どうしても迷う時、選択肢がどちらも同じくらいの
メリデメがある時の判断の材料になります。

ぶっちゃけると、この軸が座右の銘でなくても問題ありません。

自分の何かしらの信念でも構いません。

また、必ずしも「大きな」決断だけに使えるわけではありません。

日々の小さなくだらない決断でも一貫した後悔しにくい選択ができます。

行動の原動力になる

「やりたくないこと・心理的肉体的に負荷がかかることを行う際の原動力になる」
という話をします。

ざっくりいうと、
「頑張れるようになる」
「努力できるようになる」
「目標に向かって努力できるようになる」
といった感じです。

座右の銘には
頑張る理由・
人生の原動力の大きな理由になる可能性を秘めています。

先ほども、座右の銘ではなく、
何かしらの信念があればいいとお伝えしました。

こちらの理由でも同様で、
「夢」や「目標」があれば同等の効果があります。

邪な目標でも、誰が聞いても素晴らしいと言ってもらえる目標でも構いません。

個人的には邪な目標の方が達成確率は高いのではないかと思っていますが、、、

何かしらの「頑張る理由」を持っておく、
という意味合いで理解してください。

私の座右の銘

今回は私の3つある座右の銘のうち、1つを紹介します。

”Don’t expect life to be fair.”

日本語訳すると
「人生に平等を期待するな」
です。

この言葉は、アメリカの政治家・実業家の一族である
ケネディ家の家訓らしいです。

ジョン・F・ケネディと聞けば、ピンとくる人が多いのではないでしょうか。

第35代のアメリカの大統領で、
在任中に暗殺されてしまった人です。

ちょくちょく暗殺事件の真相は?
といった内容でテレビなどのメディアで取り上げられるので、
ご存じの方が多いと思います。

話を戻します。

”Don’t expect life to be fair.”
この言葉が世界でも有数の名家であるケネディ家の家訓として
刻まれていることに驚きませんか。

記憶はあいまいなのですが、
何かの本で読んだのだと思います。

この言葉が心に刺さったのを覚えています。

ケネディ家は私が想像するに
めちゃくちゃに恵まれている一族だと思います。

この一族に生まれれば、
恐らく一生お金に困ることはないでしょう。

当然、名家であることで
妬まれたり、不条理なことに巻き込まれることはあるでしょう。

しかし、それを差し引いても
恵まれていることには変わらないと思います。

そのような一族が
「人生に平等は期待するな」
という言葉を家訓にしているのです。

この言葉から、何を読み取ったか。

2つあります。

努力は報われないこともある

「努力は報われないこともある」ということです。

「頑張っているのに成果が出ない、おかしい」
「あいつは努力してないのに結果を出している」
このようなことを思ったことがある方は多いのではないでしょうか。

私もその一人でした。

過去何度、人生の不公平さを呪ったか分かりません。

しかし、その行為は全く意味がありません。

今では、そのような感情を抱きそうになったら、
心の中で唱えます。

「人生は平等ではない」と。

「お前は恵まれているくせに」
「恵まれているから、そういうことが言えるんだろ」
と言われるかもしれません。

確かにそうです。
通常より、恵まれた環境で育ってきたと思います。

ですが、「人生は平等ではない」のです。
これは避けられない現実です。

自分より、上を見ればいくらでもいます。

恵まれたケネディ家ですら、
そう考えているのです。

我々一般人は言うまでもないでしょう。

配られたカードで戦うしかない

2つ目は
「配られたカードで戦うしかない」ということです。

人間はみんな平等と言いますが、
現実問題本当にそうでしょうか。

本質的な価値はみな平等だと思います。

しかし、仕事をしていて、生活をしていて、
平等を実感することはあるでしょうか。

そもそも本質的な価値を意識することは
平和な日本で生きている私たちにとって
感じることはほとんどないのではないでしょうか。

少なくとも私はありません。

例えば、アラブの石油王の子供と比べて、
心の底から平等だと感じることはできるでしょうか。

少なくとも羨ましいと思うのではないでしょうか。

我々人間は、弱い生きものです。

自分の配られたカードと他人のカードを比べて、
「なんて恵まれていないんだ」
「どうしてあいつは何でもできるんだ」
と思ってしまいます。

しかし、どれだけ妬んでも配られたカードが増えたり、
レベルが上がることはありません。

これは受け入れなくてはならない現実です。

しかし、努力するしかない

もう一段階この言葉について考えると

「努力は報われなこともある。
しかし、それでも(何かを成し遂げるためには)努力するしかない」


という意味だと私は理解しています。

ゆるふわな人生を歩むのも悪くないでしょう。
流れに身を任せる人生も素晴らしいと思います。

ですが、本気でかなえたい夢や絶対に達成したい目標があるなら、
頑張るしか、我々凡人には選択肢はないわけです。

むしろ、そのような大層な大義名分が無くても、
人よりもちょっとだけでもいい生活がしたい、
人から一目置かれたいという気持ちがあるなら、
そこには人よりも頑張るという選択肢しかないわけです。

「言い訳せずに頑張るしかないよね」
この考えを私は得ることができました。

まとめ

人生に平等はありません。

これだけは断言できます。

平等はきれいごとです。

極論かもしれません。

ですが、凡人の我々は配られたカードを受け入れ、
努力を続けるしか選択肢はないのです。

そしてその努力は必ずしも報われるとは限りません。

努力が報われない点に関しては、今後記事にしたいと思います。

成し遂げたいことがあるなら、頑張るしかない。

非常にシンプルな理論です。

きれいごとだと思う方もいると思います。

しかし、人間はみな平等という理論に比べたら、
きれいごとではないでしょう。

むしろ泥臭い理論です。

日々、自分の成長・会社の成長を考えています。

一緒に泥臭く頑張っていきましょう。

おまけ

平均を取ったら、確実に私は恵まれている部類に入るでしょう。

しかし、一歩外に出ると私より恵まれている人はごろごろいます。

正確に言うと、頭では理解しているつもりでしたが、
本当にごろごろいるんだな~と最近実感しております。

現在、運が良いことに会社の代表として、
社外の人たちと関わる機会を頂いております。

または、経営者のセミナーなどに参加します。

そのような場で、イケイケの経営者、若手の2代目・3代目の方t会うと
やはり感じるのは内面も外見もかっこいい人が多いということです。

明るい人が多いです。

そして何かしらの強い信念があるように感じます。

実行に移すまでもスピードも半端じゃないです。

うかうかしていると置いてきぼりになってしまいます。

見た目の部分はみな肌つやがいい。

確実にみなさん身なりに気を使っています。

内面も外見もかっこいい経営者になりたいものですね。
頑張ります!


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